★治療者・医療者は精神疾患をどう見ているのか
1、精神疾患は脳の病気か、心の病気か?
2、精神疾患は脳の病気と説明されることが多い理由
3、精神疾患を心の病気と見る考え方
4、精神疾患が心の病気であることを示す症例(統合失調症)
5、脳の病気と心の病気の2つの視点で見ていく
6、治療における、脳と心の関係についての考え方
7、薬物治療に加えて心へのアプローチの重要性を示す症例
8、心と脳をバランス良く統合して立体的に見ることが大切
★治療者には、何が見えているのか
1、病気・人・心の3つのレベルをバランス良くみる
2、「病気」を見るというレベル
3、「人」を見るというレベル(うつ病患者さんの症例)
4、「人」を見るとはどういうことか
5、「心」を観るというレベル(全ての人にはダイヤモンドの心があると信じる)
6、「心」を観るというレベル(大事なのはダイヤモンドの心をどう引き出すかだけ)
7、限界突破への鍵:ダイヤモンドの心が観えているか?
8、新たな精神医療の可能性
★境界性パーソナリティ障害治療の1st stepー「偽りの自分」を遮断する
1、境界性パーソナリティ障害治療に必要な2つの姿勢
2、境界性パーソナリティ障害を見抜くことの重要性
3、うつ病と境界性パーソナリティ障害の違いの見分け方
4、統合失調症と境界性パーソナリティ障害の違いの見分け方
5、限界設定をかける
(1)限界設定の定義
(2)環境設定による限界設定
(3)コミュニケーションによる限界設定
(4)コミュニケーションによる限界設定の患者さん・医療者にとっての意味
(5)患者さんが自分の課題に主体的に取り組むことが治療において大切
(6)愛ゆえの限界設定だから医療者の都合で使ってはいけない
★境界性パーソナリティ障害における薬物治療
1、境界性パーソナリティ障害に薬は効くのか?
2、境界性パーソナリティ障害の治療に効く薬とは?
(1)抗不安薬、三環系抗うつ薬:境界性パーソナリティ障害で避けるべき薬
(2)非定型抗精神病薬:境界性パーソナリティ障害に有効な薬
(3)SSRI(selective serotonin reuptake inhibitor 選択的セロトニン再取り込み阻害薬)
(4)その他の薬剤
3、大量服薬OD(overdosesの略語)してしまう人には、どのように薬を出せばいいのか?
(1)家族による管理
(2)危険な薬は処方しない
(3)薬を溜め込むのを止めるとき
4、薬による治療を嫌がる人には、どうすればいいのか?
5、“くすり”のやりとりを通した心の治療
★なぜ、境界性パーソナリティ障害治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか。a>
・なぜ、治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
1、境界性パーソナリティ障害の人の心の構造と治療理論
2、治療者自身の己心の魔との戦い
★ 質疑応答
泉和秀先生のほかのブログ:
心の病について考えよう
摂食障害を理解するために:拒食症・過食症が治る方法
2007年12月31日
2007年08月16日
祖母を亡くした強い悲観:良い精神科医の見つけ方
治療者には、何が見えているのか
(1)病気・人・心の3つのレベルをバランス良くみる
の記事へのコメントです。
質問 by まんまさん:
ほんとうにそうです。
そんな先生がみつかるかなー?
この世の中唯一の大事な祖母を亡くしてから、
かかりはじめたのですが、
自分でも現状がのみこめずわかってもらえる人もいなくて、
処理できなくてクリニックにへ方杖を求めにいきました。
担当医となった先生は、初回面談の時間中、
病気の判断とどんなくすりを出したらよいか
まよっているんだよねー。と第一声を発せられ、
えっ?ととても不安な気持ちになりました。
コレ以降何回か、悲しく辛い気持ちを話して、
聞いて同感してくれるだけてせも救われただろうに。
「お墓の前で手を合わせればいいから。」
と決まり文句のように言われました。
それと「悲観が6ヶ月以上続くのは、
教科書的にいうと病気になりますね。」とも。
強い悲観がすこしでも和らぐようにしてもらいたかったから、
とても傷付きました。
悲観の長さっていうのは、
その亡くした人の親密度によってもちがいますよね。
泉先生のお答え:
お医者さんは、
何のために医者をやっているのでしょうか。
きっとどのお医者さんも、患者さんの病気を治して
元気になってもらうためだと思います。
ただあまり学問的なことばかりに目を奪われてしまうと、
その本来の目的を忘れてしまうことがあります。
診断したり、
病名をつけたりするのはひとつの手段であり、
「悲観が6ヶ月以上続くと病気と考えられる」というのは
ひとつの目安に過ぎません。
目安は目安であって、
それを参考にして目の前におられる患者さんの
悲観の心を見つめることが大切です。
そして、医者として
何が自分に出来るのかを考えることです。
最近、私は特にそう思うのですが、
医者であろうと、弁護士であろうと、
学校の先生であろうと、どの分野の世界においても、
目に見えない部分の力の差には
大きなものがあると思います。
心の医者だって、
患者さんに診断をつけて薬を出すことに対しては
あまり大きな差はなくても
(本当はここにも差があると思いますが)、
その関わり方、視線の投げかけ方、
声のかけ方などには、非常に大きな差があります。
もしこうしたところに力がない場合、
その医者自身もどこか患者さんの要望に
応えきれない自分を感じて、
苦しいものを感じていると思います。
ただ患者さんは、もっともっと苦しいでしょう。
でも、それが現実です。
よい医者を見つけるのは大変です。
私も本当によい歯医者さんを見つけるのに、
1〜2年かけて4件もまわって、ようやく
見つけたということがあります。
今のところ、
口コミやインターネットなどで
見つけていくしかないかなと思います。
(1)病気・人・心の3つのレベルをバランス良くみる
の記事へのコメントです。
質問 by まんまさん:
ほんとうにそうです。
そんな先生がみつかるかなー?
この世の中唯一の大事な祖母を亡くしてから、
かかりはじめたのですが、
自分でも現状がのみこめずわかってもらえる人もいなくて、
処理できなくてクリニックにへ方杖を求めにいきました。
担当医となった先生は、初回面談の時間中、
病気の判断とどんなくすりを出したらよいか
まよっているんだよねー。と第一声を発せられ、
えっ?ととても不安な気持ちになりました。
コレ以降何回か、悲しく辛い気持ちを話して、
聞いて同感してくれるだけてせも救われただろうに。
「お墓の前で手を合わせればいいから。」
と決まり文句のように言われました。
それと「悲観が6ヶ月以上続くのは、
教科書的にいうと病気になりますね。」とも。
強い悲観がすこしでも和らぐようにしてもらいたかったから、
とても傷付きました。
悲観の長さっていうのは、
その亡くした人の親密度によってもちがいますよね。
泉先生のお答え:
お医者さんは、
何のために医者をやっているのでしょうか。
きっとどのお医者さんも、患者さんの病気を治して
元気になってもらうためだと思います。
ただあまり学問的なことばかりに目を奪われてしまうと、
その本来の目的を忘れてしまうことがあります。
診断したり、
病名をつけたりするのはひとつの手段であり、
「悲観が6ヶ月以上続くと病気と考えられる」というのは
ひとつの目安に過ぎません。
目安は目安であって、
それを参考にして目の前におられる患者さんの
悲観の心を見つめることが大切です。
そして、医者として
何が自分に出来るのかを考えることです。
最近、私は特にそう思うのですが、
医者であろうと、弁護士であろうと、
学校の先生であろうと、どの分野の世界においても、
目に見えない部分の力の差には
大きなものがあると思います。
心の医者だって、
患者さんに診断をつけて薬を出すことに対しては
あまり大きな差はなくても
(本当はここにも差があると思いますが)、
その関わり方、視線の投げかけ方、
声のかけ方などには、非常に大きな差があります。
もしこうしたところに力がない場合、
その医者自身もどこか患者さんの要望に
応えきれない自分を感じて、
苦しいものを感じていると思います。
ただ患者さんは、もっともっと苦しいでしょう。
でも、それが現実です。
よい医者を見つけるのは大変です。
私も本当によい歯医者さんを見つけるのに、
1〜2年かけて4件もまわって、ようやく
見つけたということがあります。
今のところ、
口コミやインターネットなどで
見つけていくしかないかなと思います。
2007年02月08日
2.治療者自身の己心の魔との戦い:なぜ、治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
ですから、ここが難しいところです。
治療者としては、本当の自分とつながるために
偽りの自分と戦うことになるのですが、
その前に自分自身との戦いがあります。それは、
「この人にダイヤモンドの心があるなんて信じられない」
「この人は、もうどうしようもないんじゃないか」
「本当にこの人の心は腐り切っているんじゃないか」
などと思ってしまう治療者自身の己心の魔との戦いです。
相手をどうしようもない人間だと、
どうしようもないクズだと思ってしまうのか、それとも、
患者さんの心の中に本当の自分がいると信じられるのか、
ダイヤモンドの心があると信じられるのかというこの心の戦いです。
患者さんのことを「どうしようもない人間だ」とか
「どうしようもないクズだ」とか、
「ひどいことを言うなあ」と思われるかもしれませんが、
ついついこうしたことを思ってしまうのも人間です。
あなた自身、相手から攻撃され続けて、
「でも、この人の心の中には輝くダイヤモンドの心があるんだ」
と思えるでしょうか。
例えば、最初の診察のときから唐突に、
「先生って、どうしてそんな言い方しか出来ないんですか。
もっとまともな話し方を出来ないんですか。
あなた医者の免許を持っているんでしょ?
どうして先生みたいな人が先生をしているんですか。
ちゃんと出来ないなら出来ないで、
もっとちゃんと勉強したらどうですか。
どうして勉強しないんですか」
などと言われて、
「いやあ、まいったなあ。
でも、この人の心の中にもダイヤモンドの心があるんだよな」
と思える人は、一体どれくらいいるのでしょうか。
仕事中に、1日に何十回と電話をかけてこられたり、
繰り返しリストカットや大量服薬をして救急受診をされたり、
さらには、ハードな時間の中で無理して時間を割き、
精一杯関わっても、そのあげくに暴言を吐かれ、
罵られたりすれば、ついつい
「もういい加減、勘弁してくれよ」
「一体どうすればいいんだ」
「正直言って、もう電話の音を聞くだけでもぞっとする」
「今気分がゆううつになって、仕事だと思うだけで吐き気がする」
そんなふうに思うこともあるだろうと思います。
しかし、しかし、それでも自分自身の心に打ち勝ち、
「この人の心の中にもダイヤモンドの心があるんだ」
と思うこと、思うように努力することが、治療の前提条件です。
境界性パーソナリティ障害の患者さんは、
しばしば絶望の淵にいます。相手を責める一方で、
「自分が大嫌い」
「こんな自分なんて死んだほうがまし」
「自分なんて何の存在価値もない」
などと思い、自己否定する心に満ちています。
そんな99%絶望しかかっている心の中で、ある意味、
1%の可能性にすがって治療に関わっているのです。
そのときに、その治療者が
「こんなクズみたいな人間はどうしようもないな」
などと思い、その思いが伝わったとしたなら、
その1%の可能性にとどめを刺します。
一方、自分のダイヤモンドの心を信じ、
その可能性に賭けてくれている人がいるなら、
それによって支えられ、99%の絶望と1%の希望が、
徐々に90%の絶望と10%の希望へと、
80%の絶望と20%の希望へと希望への可能性が膨らんできます。
その可能性を信じてくれる喜びを
ストレートに表現できなくても、人を信じる心は、
必ず伝わります。
相手の心の中にダイヤモンドの心があると信じることが
どれほどの力があるか、どれほど治療に影響を与えるか、
それは実践し抜けば必ずわかりますが、
これこそが心を持った人間を治療するときに
治療者がまずなすべきことではないかと思います。
普通の人であれば、最初から、
境界性パーソナリティ障害の人の中に
ダイヤモンドの心を観ることは至難の業です。
人生における様々な試練の中で、悲しみや苦しみを経験し、
それを乗り越える過程で、自分が生きているのではなく、
この世界に生かされていることを実感し、
育ててくれた両親への感謝の思い、
周りの人への感謝の思いを持てるようになった
というような人であれば、
ダイヤモンドの心を観るということは、出来るかもしれません。
でも、普通の人であれば、
相手を悪く思ってしまう己心の魔と戦い、
その心に打ち勝って、
相手の心の中の悲しみに目を向ける努力が必要です。
その悲しみへのまなざしの中で、
そのダイヤモンドの心をかすかに垣間観ることが
出来るのではないかと思います。
治療者としては、本当の自分とつながるために
偽りの自分と戦うことになるのですが、
その前に自分自身との戦いがあります。それは、
「この人にダイヤモンドの心があるなんて信じられない」
「この人は、もうどうしようもないんじゃないか」
「本当にこの人の心は腐り切っているんじゃないか」
などと思ってしまう治療者自身の己心の魔との戦いです。
相手をどうしようもない人間だと、
どうしようもないクズだと思ってしまうのか、それとも、
患者さんの心の中に本当の自分がいると信じられるのか、
ダイヤモンドの心があると信じられるのかというこの心の戦いです。
患者さんのことを「どうしようもない人間だ」とか
「どうしようもないクズだ」とか、
「ひどいことを言うなあ」と思われるかもしれませんが、
ついついこうしたことを思ってしまうのも人間です。
あなた自身、相手から攻撃され続けて、
「でも、この人の心の中には輝くダイヤモンドの心があるんだ」
と思えるでしょうか。
例えば、最初の診察のときから唐突に、
「先生って、どうしてそんな言い方しか出来ないんですか。
もっとまともな話し方を出来ないんですか。
あなた医者の免許を持っているんでしょ?
どうして先生みたいな人が先生をしているんですか。
ちゃんと出来ないなら出来ないで、
もっとちゃんと勉強したらどうですか。
どうして勉強しないんですか」
などと言われて、
「いやあ、まいったなあ。
でも、この人の心の中にもダイヤモンドの心があるんだよな」
と思える人は、一体どれくらいいるのでしょうか。
仕事中に、1日に何十回と電話をかけてこられたり、
繰り返しリストカットや大量服薬をして救急受診をされたり、
さらには、ハードな時間の中で無理して時間を割き、
精一杯関わっても、そのあげくに暴言を吐かれ、
罵られたりすれば、ついつい
「もういい加減、勘弁してくれよ」
「一体どうすればいいんだ」
「正直言って、もう電話の音を聞くだけでもぞっとする」
「今気分がゆううつになって、仕事だと思うだけで吐き気がする」
そんなふうに思うこともあるだろうと思います。
しかし、しかし、それでも自分自身の心に打ち勝ち、
「この人の心の中にもダイヤモンドの心があるんだ」
と思うこと、思うように努力することが、治療の前提条件です。
境界性パーソナリティ障害の患者さんは、
しばしば絶望の淵にいます。相手を責める一方で、
「自分が大嫌い」
「こんな自分なんて死んだほうがまし」
「自分なんて何の存在価値もない」
などと思い、自己否定する心に満ちています。
そんな99%絶望しかかっている心の中で、ある意味、
1%の可能性にすがって治療に関わっているのです。
そのときに、その治療者が
「こんなクズみたいな人間はどうしようもないな」
などと思い、その思いが伝わったとしたなら、
その1%の可能性にとどめを刺します。
一方、自分のダイヤモンドの心を信じ、
その可能性に賭けてくれている人がいるなら、
それによって支えられ、99%の絶望と1%の希望が、
徐々に90%の絶望と10%の希望へと、
80%の絶望と20%の希望へと希望への可能性が膨らんできます。
その可能性を信じてくれる喜びを
ストレートに表現できなくても、人を信じる心は、
必ず伝わります。
相手の心の中にダイヤモンドの心があると信じることが
どれほどの力があるか、どれほど治療に影響を与えるか、
それは実践し抜けば必ずわかりますが、
これこそが心を持った人間を治療するときに
治療者がまずなすべきことではないかと思います。
普通の人であれば、最初から、
境界性パーソナリティ障害の人の中に
ダイヤモンドの心を観ることは至難の業です。
人生における様々な試練の中で、悲しみや苦しみを経験し、
それを乗り越える過程で、自分が生きているのではなく、
この世界に生かされていることを実感し、
育ててくれた両親への感謝の思い、
周りの人への感謝の思いを持てるようになった
というような人であれば、
ダイヤモンドの心を観るということは、出来るかもしれません。
でも、普通の人であれば、
相手を悪く思ってしまう己心の魔と戦い、
その心に打ち勝って、
相手の心の中の悲しみに目を向ける努力が必要です。
その悲しみへのまなざしの中で、
そのダイヤモンドの心をかすかに垣間観ることが
出来るのではないかと思います。
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| なぜ、境界性パーソナリティ障害治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
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1.境界性パーソナリティ障害の人の心の構造と治療理論:なぜ、治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
境界性パーソナリティ障害の患者さんの心を見てみると、
その奥にはダイヤモンドの心に基づく本当の自分がいます。
しかし、その本当の自分の周りには、
敵である偽りの自分が、本当の自分を覆ってしまっていて、
本当の自分が動けないようにしています。
治療者としては、
患者さんの心の奥にある本当の自分が機能できるように
助けたいのですが、そのためには、
その本当の自分を覆ってしまっている偽りの自分と戦い、
それを抑え、排除しなくてはなりません。
偽りの自分を排除せず、
本当の自分に働きかけようとしても、それは
敵に包囲されている本当の自分に
遠く外から声をかけているようなもので、
その声が聞こえたとしても、
本当の自分は動きようがありません。
断固とした方法、すなわち、
限界設定や薬物療法で、偽りの自分の行動を抑えたとき、
ようやく本当の自分への働きかけが出来るのです。
本当の治療は、治療者が患者さんの中にある
本当の自分とつながったところから始まります。
その奥にはダイヤモンドの心に基づく本当の自分がいます。
しかし、その本当の自分の周りには、
敵である偽りの自分が、本当の自分を覆ってしまっていて、
本当の自分が動けないようにしています。
治療者としては、
患者さんの心の奥にある本当の自分が機能できるように
助けたいのですが、そのためには、
その本当の自分を覆ってしまっている偽りの自分と戦い、
それを抑え、排除しなくてはなりません。
偽りの自分を排除せず、
本当の自分に働きかけようとしても、それは
敵に包囲されている本当の自分に
遠く外から声をかけているようなもので、
その声が聞こえたとしても、
本当の自分は動きようがありません。
断固とした方法、すなわち、
限界設定や薬物療法で、偽りの自分の行動を抑えたとき、
ようやく本当の自分への働きかけが出来るのです。
本当の治療は、治療者が患者さんの中にある
本当の自分とつながったところから始まります。
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| なぜ、境界性パーソナリティ障害治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
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なぜ、境界性パーソナリティ障害治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
境界性パーソナリティ障害治療の1st stepは、
「偽りの自分」を遮断するということです。
その「偽りの自分」に基づく言動を
遮断するための方法として、
限界設定や薬物療法について述べました。
なぜ、これが1st stepなのでしょうか。
それは、治療の最初は、ある意味、戦いだからです。
「偽りの自分」を遮断するということです。
その「偽りの自分」に基づく言動を
遮断するための方法として、
限界設定や薬物療法について述べました。
なぜ、これが1st stepなのでしょうか。
それは、治療の最初は、ある意味、戦いだからです。
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| なぜ、境界性パーソナリティ障害治療の1st stepは、「偽りの自分」を遮断することなのか
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2007年02月07日
5、“くすり”のやりとりを通した心の治療
境界性パーソナリティ障害の治療では、ときに、
患者さんとの間で盛んに
“くすり”のやりとりが繰り返されることがあります。
何かある薬を出すと、その患者さんは
「あの薬を飲むようになってから調子が悪い」
「副作用が出たから、飲むのを止めた」
と言います。そのため、いろいろと薬を変えるのですが、
どの薬を出しても何かと理由をつけては、
「この薬は合わない」
と言います。そこで、「じゃあ、どの薬がいいの?」と言うと、
「(最初に副作用が出たから嫌だと言っていたはずの)薬を出してほしい」
などと言ってきて、
「一体、本人にとっていい薬はどれなんだ?」と思うことがあります。
あるときは、
「眠れないからもっと強い薬を出してほしい」
と言ってきます。そこで、強い睡眠薬を出すと今度は、
「薬のせいで全然起きられないし、薬を減らしてほしい」
と言います。それが1,2回のことであれば、
そうしたこともあるだろうと思うのですが、
いくら増やしても減らしても納得をせず、
「じゃあ、一体どうであればいいんだ?」と思うことがあります。
また別のときには、ある薬を出そうとすると
「自分にはそれではなく、この薬が合うからこれを出してほしい」
と言ってきます。それが根拠のあるものなら、
「じゃあ、その薬でやってみようか」となりますが、
しばしばその根拠がとても薄弱なもので、
ときには依存していたりして明らかにマイナスになる
と思われるのにも関わらず、そうした薬を指定し、
執拗に要求してくることがあります。
いずれにせよ、ふと気がつくと、
こうした“くすり”のやりとりだけで
何時間も診察時間を費やしています。
しかも、どのように薬の処方を工夫しても、
本人が納得することはない。
これは結局、自分の調子の悪さを薬のせいにして
逃げているためでもありますし、また、
限界設定のところで述べたように、
その薬の内容が問題なのではなく、
どのような薬を出しても気に入らないということで、
相手の気を引くようなコミュニケーションをとっているに
過ぎないのです。
ですから、こうしたやりとりに対しては
限界設定をかけなくてはなりません。
要するに、例えばうまく眠れないということに関しても、
「これ以上、睡眠がうまくとれるように薬は調整することはできません。
これ以上の工夫の仕様はありませんから。
だから、薬はしばらくこのままにします。
調子が悪いと思うかもしれませんが、薬は変えません」
と伝えることです。
これで “くすり”ということを題材にした
相手の自己満足を満たすだけの“治療ごっこ”から
抜け出すことが出来ます。
要するに、相手の真意を理解したなら、
こうした“くすり”のやりとりは
非常に不毛なものであることに気がつきます。
そして、本当の治療の土俵に乗せるには、
限界設定をかけることが必要です。
患者さんとの間で盛んに
“くすり”のやりとりが繰り返されることがあります。
何かある薬を出すと、その患者さんは
「あの薬を飲むようになってから調子が悪い」
「副作用が出たから、飲むのを止めた」
と言います。そのため、いろいろと薬を変えるのですが、
どの薬を出しても何かと理由をつけては、
「この薬は合わない」
と言います。そこで、「じゃあ、どの薬がいいの?」と言うと、
「(最初に副作用が出たから嫌だと言っていたはずの)薬を出してほしい」
などと言ってきて、
「一体、本人にとっていい薬はどれなんだ?」と思うことがあります。
あるときは、
「眠れないからもっと強い薬を出してほしい」
と言ってきます。そこで、強い睡眠薬を出すと今度は、
「薬のせいで全然起きられないし、薬を減らしてほしい」
と言います。それが1,2回のことであれば、
そうしたこともあるだろうと思うのですが、
いくら増やしても減らしても納得をせず、
「じゃあ、一体どうであればいいんだ?」と思うことがあります。
また別のときには、ある薬を出そうとすると
「自分にはそれではなく、この薬が合うからこれを出してほしい」
と言ってきます。それが根拠のあるものなら、
「じゃあ、その薬でやってみようか」となりますが、
しばしばその根拠がとても薄弱なもので、
ときには依存していたりして明らかにマイナスになる
と思われるのにも関わらず、そうした薬を指定し、
執拗に要求してくることがあります。
いずれにせよ、ふと気がつくと、
こうした“くすり”のやりとりだけで
何時間も診察時間を費やしています。
しかも、どのように薬の処方を工夫しても、
本人が納得することはない。
これは結局、自分の調子の悪さを薬のせいにして
逃げているためでもありますし、また、
限界設定のところで述べたように、
その薬の内容が問題なのではなく、
どのような薬を出しても気に入らないということで、
相手の気を引くようなコミュニケーションをとっているに
過ぎないのです。
ですから、こうしたやりとりに対しては
限界設定をかけなくてはなりません。
要するに、例えばうまく眠れないということに関しても、
「これ以上、睡眠がうまくとれるように薬は調整することはできません。
これ以上の工夫の仕様はありませんから。
だから、薬はしばらくこのままにします。
調子が悪いと思うかもしれませんが、薬は変えません」
と伝えることです。
これで “くすり”ということを題材にした
相手の自己満足を満たすだけの“治療ごっこ”から
抜け出すことが出来ます。
要するに、相手の真意を理解したなら、
こうした“くすり”のやりとりは
非常に不毛なものであることに気がつきます。
そして、本当の治療の土俵に乗せるには、
限界設定をかけることが必要です。
4、薬による治療を嫌がる人には、どうすればいいのか?
「カウンセリングで治療をしてほしい。薬は飲みたくない」
という人には、敢えて薬を出さなくてもよいと思います。
ただ薬を飲むと飲まないとでは、
治療の進み方は全く異なるだろうと思われます。
境界性パーソナリティ障害の治療において、
現時点では、薬は根本的な治癒を目指すものではなく、
対症療法的な意味合いが大きいと思います。
しかし、MARTAが持つ情動の安定、衝動性の抑制、
さらに、抑うつ気分に伴うマイナス思考の修正をもたらす効果は大きいと思います。
心理学者のアブラハム・マズローが述べているように、
生理的欲求が満たされなければ、それより高次な欲求である
愛情の欲求について考えられないように、
この場合も、衝動性や攻撃性が抑制され、
情動の安定が得られないと、その奥にある不安感や恐怖感と
向き合って考えることはなかなか出来ません。
つまり、カウンセリングや精神療法と言っても、
なかなか心の中まで入り込むには難しいものがあります。
このようなことを理解した上で、
それでも薬を飲まないというのであれば、
それだけの苦労と時間を要することになるでしょうが、
それを覚悟してもらった上で、
薬を使わずに治療に臨むしかありません。
ただこの場合、患者さん自身が
「しんどいです」と訴えてきても、
「薬を使えば、いくらかは楽になることもあるだろうけれど、
使わないということだし、辛いだろうけれど、
しばらくはこのまま耐えて粘ってもらうしかないね」
と答えることです。
患者さんが選んだ苦難の道の上でのしんどさを
治療者が抱え込んではなりません。
治療者にとっても、
すぐにどうしようも出来ないのが現実であり、
それを少しでも和らげるようにと
薬物治療を提示したにもかかわらず、
拒否したのは患者さん自身なのですから、
その選択の自己責任は患者さんに背負ってもらうしかありません。
薬を飲むということは人によっては抵抗があります。
確かに、その心の苦しさが
薬によってよくなるはずもないと思えるでしょうし、
例えよくなったとしても、
薬でコントロールされているような気がすると
気持ちの上で受け入れられないといったこともあるでしょう。
また、何よりも薬はからだに害になるような気がして
嫌だという人もいるでしょう。
しかし、薬を一生飲んでもらおうと言うわけでもありませんし、
薬は止めれば、薬はそのうちにからだから抜けてしまって、
普通は将来にわたって残るような副作用もありません。
ですから、総合的に見て、
薬による治療を行った方が良いだろうとおもいます。
という人には、敢えて薬を出さなくてもよいと思います。
ただ薬を飲むと飲まないとでは、
治療の進み方は全く異なるだろうと思われます。
境界性パーソナリティ障害の治療において、
現時点では、薬は根本的な治癒を目指すものではなく、
対症療法的な意味合いが大きいと思います。
しかし、MARTAが持つ情動の安定、衝動性の抑制、
さらに、抑うつ気分に伴うマイナス思考の修正をもたらす効果は大きいと思います。
心理学者のアブラハム・マズローが述べているように、
生理的欲求が満たされなければ、それより高次な欲求である
愛情の欲求について考えられないように、
この場合も、衝動性や攻撃性が抑制され、
情動の安定が得られないと、その奥にある不安感や恐怖感と
向き合って考えることはなかなか出来ません。
つまり、カウンセリングや精神療法と言っても、
なかなか心の中まで入り込むには難しいものがあります。
このようなことを理解した上で、
それでも薬を飲まないというのであれば、
それだけの苦労と時間を要することになるでしょうが、
それを覚悟してもらった上で、
薬を使わずに治療に臨むしかありません。
ただこの場合、患者さん自身が
「しんどいです」と訴えてきても、
「薬を使えば、いくらかは楽になることもあるだろうけれど、
使わないということだし、辛いだろうけれど、
しばらくはこのまま耐えて粘ってもらうしかないね」
と答えることです。
患者さんが選んだ苦難の道の上でのしんどさを
治療者が抱え込んではなりません。
治療者にとっても、
すぐにどうしようも出来ないのが現実であり、
それを少しでも和らげるようにと
薬物治療を提示したにもかかわらず、
拒否したのは患者さん自身なのですから、
その選択の自己責任は患者さんに背負ってもらうしかありません。
薬を飲むということは人によっては抵抗があります。
確かに、その心の苦しさが
薬によってよくなるはずもないと思えるでしょうし、
例えよくなったとしても、
薬でコントロールされているような気がすると
気持ちの上で受け入れられないといったこともあるでしょう。
また、何よりも薬はからだに害になるような気がして
嫌だという人もいるでしょう。
しかし、薬を一生飲んでもらおうと言うわけでもありませんし、
薬は止めれば、薬はそのうちにからだから抜けてしまって、
普通は将来にわたって残るような副作用もありません。
ですから、総合的に見て、
薬による治療を行った方が良いだろうとおもいます。
(3)薬を溜め込むのを止めるとき:大量服薬する人への薬の出し方
薬を溜め込むようになると、その癖はなかなか抜けません。
それは、薬が自分の心の拠り所になっていて、
薬を手放すことに不安感や恐怖感があるからだろう
と思われます。
だから、ある程度、落ち着いてきているように見えても、
一旦、溜め込む癖をつけた人は密かに最期の薬を隠し持っていたりします。
こうした彼らが薬を手放すのは一体、
どのようなときでしょうか。
大量服薬をしたときに「危険だから、
溜め込んでいる薬は全部捨てなさい」と言って、
手放す人もいますが、大体、そのように人に言われて、
実践できる人は一部の人だけです。
人は、人に言われるという受け身の状態の中では、
なかなか本当に行動には移せません。
しかし、不思議なことに、
その人のダイヤモンドの心が持つ主体性が芽生えてくると、
自ずと薬を手放すようになります。
こちらが言わなくても、
「先生、今度の診察で溜めている薬を全部、持ってきます」
と言ってきたり、
「薬はもう要りません」と言ってきたりするようになります。
大量服薬しないように家族に管理してもらったり、
危険な薬の処方を避けたり、
限界設定することも大切なことです。
しかし、やはり最終的に目指すところは、
その患者さんのダイヤモンドの心を引き出し、
その主体性を引き出すことにあります。
そのとき、その患者さんの心の中には安心感が宿り始め、
自然と薬を手放すようになるのです。
それは、薬が自分の心の拠り所になっていて、
薬を手放すことに不安感や恐怖感があるからだろう
と思われます。
だから、ある程度、落ち着いてきているように見えても、
一旦、溜め込む癖をつけた人は密かに最期の薬を隠し持っていたりします。
こうした彼らが薬を手放すのは一体、
どのようなときでしょうか。
大量服薬をしたときに「危険だから、
溜め込んでいる薬は全部捨てなさい」と言って、
手放す人もいますが、大体、そのように人に言われて、
実践できる人は一部の人だけです。
人は、人に言われるという受け身の状態の中では、
なかなか本当に行動には移せません。
しかし、不思議なことに、
その人のダイヤモンドの心が持つ主体性が芽生えてくると、
自ずと薬を手放すようになります。
こちらが言わなくても、
「先生、今度の診察で溜めている薬を全部、持ってきます」
と言ってきたり、
「薬はもう要りません」と言ってきたりするようになります。
大量服薬しないように家族に管理してもらったり、
危険な薬の処方を避けたり、
限界設定することも大切なことです。
しかし、やはり最終的に目指すところは、
その患者さんのダイヤモンドの心を引き出し、
その主体性を引き出すことにあります。
そのとき、その患者さんの心の中には安心感が宿り始め、
自然と薬を手放すようになるのです。
(2)危険な薬は処方しない:大量服薬する人への薬の出し方
次に、このような大量服薬をする人への
方策として挙げられるのは、大量服薬した場合、
生命を脅かす危険のある薬はなるべく避けることです。
特に避けるべきと思われるのは、
三環系抗うつ薬、バルビツール酸系睡眠薬、
感情調整薬であるリチウムなどです。
これらは2週間分の処方であっても、
最大量を投薬されていれば生命に危険を及ぼす恐れがあり、
慎重に投与するというよりも
基本的に避けるべきだろうと思われます。
その他、ベンゾジアゼピン系睡眠薬も
出来れば避けるのが望ましいと思われます。
一方、比較的、安全性が高いと言われているのは、
定型抗精神病薬です。
ですから、不眠に対しても、
ただ睡眠薬を処方するのではなく、
こうした定型抗精神病薬を利用して
睡眠を図るようにする方がよいと思います。
非定型抗精神病薬、SSRIに関しては、
三環系抗うつ薬やバルビツール酸系睡眠薬のような危険性は言われておらず、
まだ十分なデータは揃っていないようですが、
比較的安全性は高いと考えられています。
いずれにせよ、
治療者も家族も本当に患者さんのためを思うならば、
患者さんがいろいろな薬を要求してきても、
言いなりにはならない強い意志が必要です。
また、いくらひとりの治療者がそのように努力しても、
患者さんによっては、ドクターショッピングと言って、
いろいろな病院を受診して薬を手に入れる人がいます。
すると、自分がいくら制限しても
結局は手に入れて飲んでしまうのだから
無駄だと考えてしまうかもしれません。
しかし、大事なのは治療者の思いです。
相手を本当に思うなら、
その場しのぎで相手に合わせることはできません。
相手は懇願してきたり、怒ったりするかもしれませんが、
毅然とした態度を示すことが大切です。
すぐには伝わらなくても、
相手を思う治療者の思いは必ず仕事をするもので、
治療関係が長く続いたときには、
それが深い信頼につながります。
その信頼こそが非常な治療薬となっていくのです。
治療者には相手に理解されなくても、耐える心が必要なのです。
方策として挙げられるのは、大量服薬した場合、
生命を脅かす危険のある薬はなるべく避けることです。
特に避けるべきと思われるのは、
三環系抗うつ薬、バルビツール酸系睡眠薬、
感情調整薬であるリチウムなどです。
これらは2週間分の処方であっても、
最大量を投薬されていれば生命に危険を及ぼす恐れがあり、
慎重に投与するというよりも
基本的に避けるべきだろうと思われます。
その他、ベンゾジアゼピン系睡眠薬も
出来れば避けるのが望ましいと思われます。
一方、比較的、安全性が高いと言われているのは、
定型抗精神病薬です。
ですから、不眠に対しても、
ただ睡眠薬を処方するのではなく、
こうした定型抗精神病薬を利用して
睡眠を図るようにする方がよいと思います。
非定型抗精神病薬、SSRIに関しては、
三環系抗うつ薬やバルビツール酸系睡眠薬のような危険性は言われておらず、
まだ十分なデータは揃っていないようですが、
比較的安全性は高いと考えられています。
いずれにせよ、
治療者も家族も本当に患者さんのためを思うならば、
患者さんがいろいろな薬を要求してきても、
言いなりにはならない強い意志が必要です。
また、いくらひとりの治療者がそのように努力しても、
患者さんによっては、ドクターショッピングと言って、
いろいろな病院を受診して薬を手に入れる人がいます。
すると、自分がいくら制限しても
結局は手に入れて飲んでしまうのだから
無駄だと考えてしまうかもしれません。
しかし、大事なのは治療者の思いです。
相手を本当に思うなら、
その場しのぎで相手に合わせることはできません。
相手は懇願してきたり、怒ったりするかもしれませんが、
毅然とした態度を示すことが大切です。
すぐには伝わらなくても、
相手を思う治療者の思いは必ず仕事をするもので、
治療関係が長く続いたときには、
それが深い信頼につながります。
その信頼こそが非常な治療薬となっていくのです。
治療者には相手に理解されなくても、耐える心が必要なのです。
(1)家族による管理:大量服薬する人への薬の出し方
まず考えるのが、
薬を家族らに管理してもらい、
飲むたびに渡すようにしてもらうことです。
もし、何らかの理由で
家族が管理できない状況にあるなら、
生命を脅かしかねない薬は出すべきではありません。
しきりに自分に管理させてほしい
と訴える患者さんもいますが、
このように強く訴える人ほど
むしろ管理させないようにすることです。
いろいろと理由を述べるかもしれませんが、
普通の人であればそこまで拘ることはありません。
それが、それだけ拘るということは、そこに薬に依存し、
場合によっては薬に力で現実逃避しようとする心の問題があり、
その心の問題に向き合ってもらうためにも、
断固として管理を許可してはなりません。
これもひとつの限界設定です。
薬を家族らに管理してもらい、
飲むたびに渡すようにしてもらうことです。
もし、何らかの理由で
家族が管理できない状況にあるなら、
生命を脅かしかねない薬は出すべきではありません。
しきりに自分に管理させてほしい
と訴える患者さんもいますが、
このように強く訴える人ほど
むしろ管理させないようにすることです。
いろいろと理由を述べるかもしれませんが、
普通の人であればそこまで拘ることはありません。
それが、それだけ拘るということは、そこに薬に依存し、
場合によっては薬に力で現実逃避しようとする心の問題があり、
その心の問題に向き合ってもらうためにも、
断固として管理を許可してはなりません。
これもひとつの限界設定です。